日持上人

伝承とロマンを追って

函館 実行寺の日持上人題目石

函館 実行寺の
日持上人題目石
●『北海道大鑑』より

日蓮聖人がご遺言で六老僧と定めた蓮華阿闍梨日持上人は、7歳で出家し、20歳で日蓮聖人のお弟子となり、鎌倉、佐渡、身延とお傍に仕え、聖人の13回忌を修した後、永仁3(1295)年正月に47歳で大陸布教に旅立たれたと伝えられています。
北海道の法華経布教について、遡って資料で確認できるのは、大永元(1521)年の京都本山本満寺日尋上人の書いた資料ですから、日持上人が道内で布教されたことをはじめ、その後の約200年間の諸先師による布教は、深い謎のままです。

しかし、今なお語り継がれる日持上人の徳行は、聞く者をして、日蓮聖人の教えを継ぐ者としての日持上人の思い、異域への畏れとロマン、そして伝説の地に薫る先師たちの日持上人に対する渇仰の心を呼び覚まし、宗門の歴史の中で格別の魅力を持っています。

大陸布教を大願に、遠い大地に想いを馳せ、単身布教の旅に出て再び祖国に戻らなかった日持上人。

その伝説に多くの人は、どこか孤高で切ない憧憬の想いを懐き、あたかも命あるもののように、異域にあって郷愁に揺れる魂を癒し、励まし、人々を幻の理想郷建設へ導いてくれるように見えたのかも知れません。

伝説は歴史の空白を歩むロマンと共に、物理的・科学的に論議を呼び起こす一面もありますが、私達を久遠(とわ)の世界と未知の地平にいざない続けます。

現在は四季を通して観光で賑わう北海道ですが、明治の開拓とともに全道に拡がった布教活動は、大地を開墾する事から始めなければなりませんでした。特に冬の極寒の生活は想像を絶するもので、夢叶わず大地に葬られた人々も数知れず、まさに命がけで教えを弘めたのです。

古(いにしえ)に、未開の地で単身法華経の教えを弘めんとした日持上人の志は、先師に受け継がれ、700年以上の時を超えて、今日、道内の寺院・教会・結社、そしてそれを護持する檀信徒に受け継がれています。

日持上人にまつわる伝承

◆鶏冠石の三つの伝説

夜鳴き石伝説

石の前で子供と共に斬殺された母のすすり泣きが夜な夜な聞こえたが、日持上人が石に題目を記し回向したところ、ぱったりと聞こえなくなったと云われる。

上陸伝説

日持上人の最初の上陸地点が函館で、その記念に書かれた題目石で、当初は函館山の山腹にあったと云われている。

名残りの題目石

大陸に渡る前、産まれ育った日本への惜別の念で記した題目石と云われている。

◆地名の「ほっけ」と魚の「ほっけ」

日持上人が、不漁続きのアイヌ漁民の苦悩を想い、祈念したところ、瞬く間に大漁となったと云われます。更にこれをきっかけに現地の人々との和睦も成立したと云われます。「ホッケ」は、この時たくさんとれた魚で、法華経の魚として名付けたのが由来すると云われています。

また函館近郊の地名、椴法華(とどぼっけ)は、日持上人が大陸に旅立った場所として唐渡法華(法華の僧が大陸に渡ったという意味)と名付けられたと云われます。

◆樺太の伝説

「ヒモチという坊さんと題目石」
函館 実行寺の日持上人題目石●『北海道大鑑』より

函館 実行寺の日持上人題目石
●『北海道大鑑』より

樺太の一漁村にヒモチ(日持と推測される。)という名の坊さんが来て、岩に文字を記して北に向かった伝説があります。この岩に祈ると大漁となり、岩が動くと大嵐か不漁になると樺太住民に信じられていたと云われます。戦前まで立派な日持上人像と題目石があり、盛大に供養祭が行われていたそうです。残念ながらこれらのお話しは、全て伝承です。

しかし、物理的、科学的に物事を証明したり、学問的に検証したりする事だけが教えの真理ではありません。

お題目を唱える私達が目指す大事なことは、その「心」です。子や孫にこの「心」を伝えて行くのは、私達の役目です。

日持上人ゆかりのお寺

  • <檜山郡> 法 華 寺
  • <松前郡> 法 華 寺
  • <函館市> 實 行 寺
  • <函館市> 妙 應 寺
  • <函館市> 妙 顕 寺